両親は無年金障害者

両親が無年金障害者となってしまった息子のつぶやき

『発症~入院』最初の入院 その1

 

はじめに  ブログを始めたわけ

 

離れて暮らしているのとその年の3月に息子が生まれているので、正直母に関しての記憶はだいぶ薄いですが・・

 

2015年 6月くらいからでしょうか

なんだかダルイ、微熱的なものはあったようです

年1の健康診断を近所でうけたところ、尿検査の値が悪い(腎臓の値が悪い)

2015年 7月7日に総合病院で再検査となったようです

再検査の結果も悪くその日のうちに入院となりました

数値が悪かったので入院となりましたが、次はなぜ数値が悪いかの原因を探らなければいけません

 

その過程の中で膀胱がんの疑いもあったようです

いろいろと検査していくうちに、顕微鏡的多発血管炎(指定難病43)という事が分ったようです

話を聞いたところダルさ、むくみ、食べてもおいしくないなどの体調の悪さは少し前からあったようで、もっと早く病院に行っていればと言っていました

無年金無収入の為に負担をかけまいと、あまりお金を使わないようにしていたんだと思います

その結果、腎不全→透析という結果となりました

 

 

そのまま入院となってしまったため、私は会社を昼過ぎに早退

とりあえずの最低限必要なものを実家から病院へ持って行くことにしました

とりあえずは病院の入院セットなるものでも間に合いますが(寝まき、タオル類)1日436円

仮に1ヶ月30日入院すると13080円

着替えても着替えなくても1日の料金なので変わりません、きっちり日数で請求されます

即日入院なので最初は仕方ないが、出来れば出費は抑えていきたい

というわけで洋服やら洗面用具やら(持っていかないと院内のコンビニで買うことになります)スリッパ、ラジオなどを持って行った気がします

ここで入院するたびに母親ともめる持ってきてほしいものが登場します

 

 

「いつも着ているあのカーディガン持ってきて」

「この前着てた(私の家に来た時)あれ持ってきて」

 

そんなもん分るかーーーーーー!!

 щ(゚Д゚щ)

 

あれってなんだよ!!

もうね、そもそも私はその家に10年近く住んでないし、物が山のようにあって何がどこにあるかなんて分からないよ・・

そしてあなたの着てたものなんか分からんよ・・

うちの母親はとにかく物があまり捨てられない人

段ボールでも破いたカレンダーに空き箱と、とにかくとってある

この前なんか裏庭片づけてたら、おそらく私の時に使用してたであろうベビーバス出てきたからね

鼻水出たわ!!

 

ご多分に漏れず服も捨てれないため、ごちゃごちゃしてます

そんな中から言われた洋服を探すのはもはや宝探し

言われた場所にあればまだいいんですけどね、これが違ったとこにあったりするもんで大変でした

それでも最初の入院時は外出届も認められたので、何度か自宅に帰って自分で必要なものを取りに戻ったりしてくれていました

 

病院に必要なものを持って行く事ともう一つ、私にはやっておかねばならない重要なミッションがありました

即日入院、1週間以上の入院となるとやっておかねばなりません

 

生ごみの処理と冷蔵庫の中身の処理です

 

ただでさえ古い一軒家

入院は7月7日からでもはや夏!!

生ごみの入った袋を放置して虫が沸くことは必至!!

放置はできません

加えて冷蔵庫の中身もいくら冷やされているとはいえ、1ヶ月間も放置できません(いつまで入院するのかもこの時は分かっていなかったように思います、ただすぐに退院というわけではないことだけが分かっていたような)

持ち帰れるものは自宅に持ち帰り、あやしいものはもう処分

生ごみ等は収集日の前日の夜に実家に行き、ゴミ出ししました

ここも一軒家の辛いところ

おいそれと生ゴミなんて共同の収集場所に出せません

加えて実家の収集はほぼ8時過ぎに来るため、出社前に行くのもその当時の私にはきつかったです

去年くらいから実家の片づけを私がしていますが、このゴミ出し問題はけっこう厄介でした

行く日も翌日がゴミ出しの日に合わせて行くようになってました

 

次回は入院中、入院費のことなど書いてみようかと思います

※当時の事を思い出しながら書いていますが、よりはっきりした事を思い出したり母に聞いた場合には加筆修正していきたいと思います

 

最初の入院 その2

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