両親は無年金障害者

両親が無年金障害者となってしまった息子のつぶやき

『2月9日(水)』


 はじめに  ブログを始めたわけ

 

 

 

2月9日 水曜日

 

ケアマネさんから14時05分、SMSにて連絡あり

透析中に腰痛の訴えがあり、発熱 37.7度

動けないということで、透析後に河北HPの救急外来を透析センター職員付き添いで

受診する事になったとの報告

 

その前後に(記憶がおぼろげ・・)救急外来からも着信あり

なんにせよ、私は早退して病院に向かわなければならない様子

 

その後にケアマネさんと話してみると家に帰れた場合、家に着いてからのフォローには誰かを向かわせられるとの事

その場合でも一人では帰せないので、結局私は早退して病院に向かうことに

 

 

着いてからはしばらく待たされ、その後に説明を受ける(まだ母には会ってはいない)

・透析で受けた検査ではコロナ陰性であるが、コロナと疑わしき肺炎がある

・その肺炎がコロナ患者にみられるものと似ている

・おまけに熱もある

 

コロナ疑いということで入院するよう説得したが、入院はしないという状態らしい

状態が少し良くなったのか、家に帰りたいのと私に迷惑がかかる事を思ってか

帰るという

そのような状況なので、連れてご帰宅お願いしますとの事

 

 

ちょっと待ってくれーーー

 

 

そんな状態の人を私連れて帰れないよ

タクシーに乗せていいかどうかも分からないし(いや、ダメだろう)

そもそも一人で外出出来ない母を、自宅まで連れて歩いてなんて帰れないよ・・・

 

というわけで母に合わせてもらえるよう頼み、母を説得

この状態では(救急外来での検査結果は明日にならないと出ない)帰れないよと

疑いがある状態ではヘルパーさんも困るだろうし、私も幼児が二人いるから困るよと

なによりコロナ疑いがあって帰れる方法がない事を伝え、しぶしぶ了承

 

母的には一人で外に出られるわけでもないのに、コロナなんかではないというのが根底にあったようです

外出は透析のみ、あとはヘルパーさんとせいぜい私の家族に会うくらいしかないですし・・

会った時には透析後から何も食べてないし、お腹が減ったと言ってましたね 笑)

簡易ベッドのようなものに寝てはいましたが、特に変わらず元気そうでした

 

入院準備のため1時間ちょい時間があったので、私は一度実家に行き入院に必要そうなものを取りに行くことにしました

実家に着いてから入院中に必要そうなものを必死に思い出す

何度か入退院は繰り返しているので、慣れたものでそこそこの荷物をパッキング

コロナの疑いがある母が午前中までいた部屋で作業するのは少し気が引けましたが、自分以外やれる人は誰もいませんのでその辺は割り切って作業してました

 

病院に戻り、そこから会社に現状の報告

とりあえずは結果待ちで翌日朝は自宅待機

看護師さんに聞くと、マスクさえしていればもう濃厚接触者ではないんですね(2月9日時点)

コロナ疑いということで、入院先はコロナ病棟

全て個室になっているそうです

病棟に私は入れるはずもなく、そのまま看護師さんに荷物を渡して病院は終了

 

ケアマネさんにも入院を伝え、その方がいいでしょうと言ってくれました(担当のケアマネさんは看護師の資格を持っています)

私もこの状況下で自宅に戻り悪化しても入院出来る保障はないし、熱もあるので一人ではない方がいいとの判断でした

 

帰りは病院からまた自宅に寄り、冷蔵庫のチェック

2~3日で退院出来る可能性は薄いかもしれないし、その際にはまた冷蔵庫の中身は処理しないといけません

流しに洗いものもありましたが、寒いし疲れていたので後日にして(明後日から三連休)その日はそのまま帰宅

 

帰宅後にはすぐお風呂に入り、着ていたものは即洗濯機に入れました

 

 

続きます

 

 

 

 

 

 

 

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