両親は無年金障害者

両親が無年金障害者となってしまった息子のつぶやき

『実家へ向かう』3度目の入院 その3

 

はじめに  ブログを始めたわけ

 

3度目の入院 その1

 

前回はこちら

 

lopapapapa.hatenablog.com

 

 

実家へ向かう旨のメールを入れたのが、1月6日 8時57分 

最後に母と連絡がとれたのは母からのメールで12月31日、大晦日の19時11分 

 

 

4日夜~6日の朝まで携帯は鳴るものの連絡はとれず

正確には五日半ほど一切連絡がとれていません

 

築40年近い実家に一人暮らし、いわゆる独居老人の母

介護状態は要支援2のため、介護保険サービスの利用はなし

電話が繋がらなければ、私が行く以外にコンタクトの取りようがありません

70歳を過ぎていますし、難病も患っています

 

5日の時点で、病院に来ているかどうかの確認をとってみることも考えました

しかし母の定期通院は土曜日、昨日の時点では病院に行っていると思っていました

そして実家に向かった日は日曜日、電話の受け付けはやっていません

救急外来の回線はありますが、昨日来ていたかどうかの確認をとれるかどうか分かりません

遠方ならともかく、救急外来を必要としている方に迷惑がかかってしまうかもしれません

実家へは自転車で40分ほどで、行った方が早いし確実です

 

向かう道中ではいろいろなケースを想定しました

幸い携帯は出ませんが繋がってはいたので、ある程度は充電されている

前日には定期通院もあり、ただ気づいていないだけなのか?

携帯は家の中でも持ち歩いてほしいとは、前から伝えていました

充電されっぱなしということはないのではないか?

充電場所は2階の寝室、起きている時の家での活動場所は1階のリビングです

 

最悪のケースも考えました

突然どうこうなる病気ではありませんが、それでも70代前半の高齢者

なにかあっても不思議ではありません

 

住宅改修がまだのため、階段にはが手すりが付いていません

降りる際は座って降りるよう言われていましたが、なにかの拍子に手や足を滑らせたのではないか?

 

様々なケースが浮かんでは消えていったような気がします

そして近かったような遠かったような感覚のまま、実家に到着

外から見る分には静まり返った、いつも通りの実家でした

ポストを見ると数枚の年賀状、新聞はとるのをやめてもらっていたのでありません

 

玄関の鍵はかかっていました

鍵を開けるのに、少し躊躇したのを覚えています

来る道中に思ったいろいろなケースが脳裏をよぎります・・

 

玄関を開け中に入ると、リビングの戸はしまっているものの音が漏れています

玄関を上がるとキッチンとの壁で遮られ、右に廊下が続いています

キッチンとの壁の先、左側にリビングの引き戸があります(突き当りには洗面所)

 

音が漏れていることで人の気配を感じたのか、少し肩の力が抜けました

安著感とともになぜ折り返してこないのかと、怒りも湧いてきました

玄関から廊下へと足を踏み出します

 

3度目の入院 その4

 

 

 

 

 

 

 

 

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