両親は無年金障害者

両親が無年金障害者となってしまった息子のつぶやき

『河北リハビリステーション病院 続き』2度目の入院 その7

 

はじめに  ブログを始めたわけ

 

2度目の入院 その1 その2 その3  その4 その5

 

前回の続きとなります

 

 

lopapapapa.hatenablog.com

 

前回も書いたようにエレベーターの仕様は特徴がありました

 

その他で特徴的だと私が思ったことを、いくつか書いてみたいと思います

 

 

 まず寝巻き以外の服が、寝巻きより必要です

これはリハビリ病院ということで、普段から普通着で過ごします

そのため収納も多いのでしょう(ベッド脇に三段の衣装ダンス

病院では1日に1回ほどのリハビリも、ここではメインなので時間も長く2〜3回あったように思います

 

外に出て散歩的なリハビリも多いと思います(自分が体験したわけではないので・・)

行くたびに理学療法士の方と入院の方が、散歩してる姿はよく見かけました

行ったのにリハビリでいないこともよくありました

母もここでのリハビリでずいぶんと歩けるようになりました(恥骨骨折)

 

食事もベッドではなく、広間でとります

場合によると思いますが、寝巻(パジャマ)で行かないように言われた気がします

普段着もより多く必要になったので、実家に取りに行く回数も増えました

行ったついでなのか、言われたものを取りに行ったついでに掃除をしてるのか、とにかく実家自体の片付けはすすみました

 

母は70歳でしたが、女性では最年少だったらしいです 笑)

会社帰りに阿佐ヶ谷の河北病院に行くよりは、こちらの方が行きやすく帰りやすいこともあり、リハビリを続けてほしいと思っていました

(実家には遠いので洗濯の送り届け的な意味では)

 

母もここは好きなようでしたし、歩く訓練で歩けだすことに希望を見いだしていました

院内の理学療法士の方々も母は気に入っていましたし、安心して入院してもらってました

保険で出してもらえる日数など、とうに過ぎていましたが以前ほどとはいかないまでも、リハビリを続けていってもらうつもりいました

 

しかし、この平穏な入院生活も突如として打ち切られます

母の本来の難病での血液の数値が、悪化していたのです

 

2度目の入院 その8 

 

 

 

 

 

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